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【国東新聞】280年前へ“時間旅行”

三浦梅園学びの道復活プロジェクト

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2010年01月13日掲載 |最新に戻る

国東市安岐町の三浦梅園資料館に展示されている三浦梅園の肖像画

 広瀬淡窓、帆足万里とともに「豊後三賢人」の一人として知られる三浦梅園が、少年時代に歩いた杵築藩内の道のりを復活させて、観光や教育などの地域活性化に活用する「三浦梅園学びの道復活プロジェクト」が、国東市安岐町で進んでいる。メンバーは「三浦梅園旧宅」(国指定史跡)に隣接する「三浦梅園資料館」を拠点に活動。地域住民の協力を得ながら、三浦梅園にまつわる言い伝えなどを手掛かりに当時の道を探し当て、草木を刈って人が歩けるまでに回復させた。280年ほど前を思い起こしながら、約16キロにわたる「梅園学びの道」をたどった。

 「三浦梅園学びの道」のスタート地点は国東市安岐町の「三浦梅園旧宅」。三浦梅園資料館の浜田晃さん(63)=顔写真=は「三浦梅園自身が設計し、晩年をこの家で過ごしたようです」と説明する。保存修理工事が完了して2007年に完成記念式典があったばかりで、かやぶき屋根などは新しくなっている。
 三浦梅園が辞書を引くために訪れた西白寺は同町弁分(べんぶ)にある。「当時の寺は今とは別の場所。そこには僧侶の墓があるだけだが、当時をしのぶことができる」と話す。
 ルート上で最も標高の高い橋上(はじかみ)は学びの道のちょうど中間地点。「参勤交代の殿様も一休みして景色を楽しんだ絶景が眺められる場所。両子山や伊予灘を見ることができ、歩いて疲れた体をリフレッシュできます」
 杵築市に入り五田(ごた)には道の分岐点を示す道しるべがある。「当時のものと見られていて、梅園少年もきっとこの道しるべを見たのだろう」。「右 ふるいち 左 ふたご」と彫られている。
 学びの道の終着点は「藩校の門」。梅園の長男、三浦黄鶴(こうかく)が藩校で先生をしていた縁で終着点としている。「梅園少年は往復30キロ以上を歩いた。現代人だと、くたくたになって勉強どころではないかもしれませんね」

 「三浦梅園学びの道復活プロジェクト」では、地域づくりグループのメンバー、区長、文化財調査委員などさまざまな立場に所属する23人による実行委員会(冨永六男代表)が、昨年7月に発足した。
 これまで三浦梅園が杵築城下まで通っていたことは地域でも知られていたが、「具体的にどの道だったかは分からず、しっかりと把握したいという機運が地域で盛り上がっていた」と冨永代表。「この機会に三浦梅園の功績をより多くの人に知ってもらいたい」と期待を込める。
 実行委員会を設立してから、地域住民への聞き込みを始めた。地域の歴史に詳しい人に昔からの言い伝えを聞いて、実際に現地を確認しながら見当をつけた。「本当に手探りの作業だった」と振り返る。
 草木が生えてすでに歩けない道もあり、チェーンソーなどを持ち寄り、雑草のうっそうと茂る山道をきれいにした。復活した道は、山を越えて杵築城下までを最短距離で結ぶほぼ直線だと分かった。
 「大人でも歩くのが大変な高低差の大きな道。10代の子どもがはだしでよく歩いたものだと感心します」
 今後は国東、杵築両市の子どもたちも参加できるイベントの開催や講演会を予定している。「取り組みを通じて梅園少年の向学心の高さ、その人柄を、今の子どもや大人に感じてもらいたい」と意気込んでいる。

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